ー その2 ー


 ここからは奥さんのエネイダとの話と、提供してくれた貴重な写真と共に「ルベンの過去を訪ねて」という内容になっていきます。映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」では、「過去に於いては活躍した時期もあったがどちらかといえば現在は『不遇』の音楽家に焦点をあてた」作品と評されています。たしかにコンパイ・セグンドは元 "Los Compadres" というデュオの文字通り「セカンド・ボイス」で、大したヒット曲もなく、キューバ人もほとんどの人が知らなかった人です。イブライム・フェレールやエリアデス・オチョアは過去に活躍してヒットした時期があり、年配の人には知名度がありますが、近年は特に活動していなく、たしかに「不遇の人」だったといえるでしょう。でもオマーラ・ポルトゥオンドとルベンは、過去は勿論のこと、近年でも偉大なマエストロとして活動していた(オマーラは勿論現在も)、という点で他の映画出演者とは一線を画すといっていいでしょう。外国から見て「全部まとめてホイ」は、ルベンを敬愛するボクとしては納得できないので、彼の名誉のためにも、彼がいかにスゴイ人であったかをみなさんにお伝えしましょう。

 ブエナ・ビスタ以前での彼の活動で一番有名なのは、長年在籍していた「オルケスタ・ホリン」とキューバのオールスターズ「エストレージャス・デ・アレイート」での音楽監督としての活動でしょう。「オルケスタ・ホリン」は、チャ・チャ・チャの創始者として数多くのヒット曲を作曲したエンリケ・ホリン (Violin) が54年に結成したバンドですが、実はルベンはこのバンドのオリジナル・メンバーです。55年に一度脱退したものの(この時期の話は後述します)、64年に復帰し、その後ずっと91年まで在籍しました。上の写真は70年代末のメキシコ公演のものです。ルベンだけ違うスーツを着ているのは何故でしょう。別格な存在だからでしょうか。それともスーツを忘れたのかも。(笑)

 この「オルケスタ・ホリン」は、ルベンの復帰した頃を境に、それ以前とそれ以後で第1期と第2期の黄金時代があったといえるでしょう。第1期は、新しい音楽としてのチャ・チャ・チャが世界を席巻するほどの大ブームになって世界中をツアーした時期です。59年にはオルケスタ・アラゴンと共にニューヨークで公演し、それはその後のチャランガ・ブームを引き起こしたといわれる伝説的なコンサートになりました。また、62年には日本にも来てコンサートを行っています。ちなみにその時のピアニストはギジェルモ・ルバルカーバ(ゴンサーロのお父さん)だったそうです。第2期は「黄金の美声」といわれたティト・ゴメスがゲスト・ボーカルとして、またオリジナル・フルート奏者のミゲール・オファーリルが加わったりして、かつてのレパートリーを次々リアレンジして行い、地位を不動のものにしました。エンリケ・ホリンは残念ながら87年に亡くなってしまったのですが、その後もこのバンドは存続し続け、リーダーはルベンに取って替わりました。ボクが初めて「オルケスタ・ホリン」を見たのが88年だったので、あと1年早ければホリンに会えてたかもしれないと思うと残念な気持ちでいっぱいです。

 この時期の「オルケスタ・ホリン」も「エストレージャス・デ・アレイート」もCDで入手可能です。また、72年に発表されたソロ・アルバムも復刻しました。是非聞いてみて下さい。

 さあ、話はさらに過去へと、またさらにマニアックな世界へと向かって行きます。

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